母が死んだ

母が死んだ。末期ガンだった。

俺の年齢を知ってる人は母の年齢も大体想像できると思うが、死ぬには早すぎる年齢だった。

俺にとって母は人生で出会った中で大切な人ランキング同率1位の内の1人であり、2人で海外旅行に行った事もあるくらい仲が良かった。

 

マック家は先月娘が産まれた。母にとっては待望の初孫である。LINEで娘の写真や動画を送る度に、キャーキャー言って喜んでいた。

俺の地元は北海道とはかなり距離があるが、両親2人で孫に会いに北海道まで来る予定をしていて、双方ともその日を心待ちにしていた。

母親の状態を知らされたのはほんの10日ほど前、北海道に来る前日だった。ガンの複数転移が見られ余命1〜2ヶ月と宣告されている事、食事もあまり摂れていない事等。

その日から今でもまだ現実を上手く受け止められていない。とりあえずボロクソに泣いて、なぜもっと早く教えてくれなかったんだと嘆いたが、どうやら心配させまいと黙っていたらしい。

本当は旅行中も黙ってるつもりだったらしいが、明らかに分かる状態だったので父から打ち明けられた形。

とは言えそこまで変わって無いだろうとタカを括り迎えた当日、夕方に空港まで両親を迎えに行った。

その時登場した母は車イスに乗り、明らかに今までの覇気は無く、声にも力が無かった。この旅行の為に副作用がキツい薬を頑張って飲んで準備してきたらしい。

旅行は3日間で、初日は時間を取って長めに娘に会わせ、3日目も少しだけ会わせる予定だった。

空港から出る前、母は一度ホテルに行って休みたいと言い出した。しかしそうなるとその日はもう会えないかもしれないし、既に食事も用意してもらっていた等色々都合が悪かったので、俺と父は母を娘のもとに連れて行った。

今思えばここで少し無理をさせてしまったのが死期を早めてしまったのではないかと後悔している。ただ初孫に会うのが今回の目的だからなあ…という気持ちもあり非常にやるせ無い気分ではある。

ともかく念願の初対面を果たした母は実に幸せそうだった。本来であれば何時間でも居たかったのだろうが、やはり体がしんどかったようで早めに切り上げてホテルへ戻った。

翌日を迎えたが体調は一向に良くならず、予定していた観光もとてもできる状態では無かった為、ほぼ1日ホテルで過ごし、最終日もほんの少し孫の元へ寄った後直ぐに飛行機に乗り帰宅。翌日から即入院する事となった。

これで容態も少しは安定するだろうと一安心したのも束の間、1週間もしない内に病院から危篤の知らせがあり、すぐに当日の飛行機を取り地元の病院へ向かった。

搭乗前にビデオ通話で「今から行くよ」と伝えた時にほぼ聞こえない声で「待ってるよ」と応えてくれた。しかしその後病院に着いた頃には意識が朦朧としていて意思疎通ができず、これが最期の会話となった。

こういう時のためにできれば地元の近くで働きたかったとか、もっと早く病気の事に気づいてやれればとか色々思うところはあるが、孫の顔を見せてやれた事に関しては最後に少し親孝行出来たのではないかと思っている。

 

安い言葉だけどこれを読んでくれた人で身近にいる大切な人がいる人は、生きているうちに感謝を伝えるとかモノを贈るとかなんでも良いけどできる事をしてあげて、いざという時に後悔の無いようにしてあげて欲しい。